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カイジューバイミーワンマンを終えて。

 

今日は結構カイジュー初見の方多かった気がする。とても良い。理想的。そして、n回言っているけどスパンコール含めてILUのファンはフロアの作り方が上手い。多分、初めてカイジューを体感した人たちに与えた印象はプラスに振れたんじゃないかな。

 

個人的にMELiSSAにハマった理由は色々あるんだけど、その中でもデカかったのは振りコピに「サビ」があることだったのかも知れない。代表的なUTPAやMELiSSAMELiSSAのサビでフロアが一体になって振りコピする。それが楽しいし、MELiSSAが盛り上がれた一因。

その流れでカイジューもクラップや振りコピなどを織り交ぜて、一曲一曲違った表現方法を確立させ、初めての人でも「真似がしやすい」システムになっている。それが出来るのはフロアの至るところから同じリズムのクラップが聴こえてきて、あちらもこちらも同じ振りコピをしている。しかも振りの難易度も高いわけでもないし、だから初めての人も横と同じことをすれば「ライブに参加」出来る。

ライブに参加することで、ステージの印象も色濃く残るだろうし、その結果カイジューへの印象も強くなる…と思う。

 

それにはまず今日の新曲『茜』。これが次にライブで掛けられた時にファンがクラップや振りを試す。どうすればステージと一体感を増せるのか。その場にいる人たちがリズムに合わせて、自発的に手を叩いてみる。それがハマれば次のライブで、また次のライブでとどんどん構築されていく。

この作業は勿論カイジューに限った話でもないんだけど、ILUの2組はこの構築されたシステムの実行率が高い。Killer Tuneなんかでは、ほぼ全員同じクラップ、同じ振りコピ。あとは、全ての楽曲それぞれに作り上げていること。これ結構重要。否定したいから言うとかじゃなくて、リアルな疑問として常々持っているのが「せっかく一曲一曲違うのに、何でわざわざMIX打って同じリズムと歌詞つけちゃうんだろう」。あの曲もこの曲も違うのに、イントロでスピーカーから流れてくるメロディを掻き消してまで何で同じリズム付けちゃうんだろう。MIX打つなら、一曲一曲違うものを創造すればいいのにな、って思いを持っているんだけど、ILUはMIX(事実上)禁止なので、それも楽曲に対するリスペクトを上げているのかも。知らんけど。

閑話が休題するけどついでに。こちらも公式にMIX禁止しているんだけど、日々聴いている中でSymdolickの楽曲ってイントロがめちゃ強(ワクワクする感じ)いんだけど、ライブでMIX打たれちゃうと(禁止だからその心配ないんだけど)そのお強いイントロが聴き取り辛くて楽曲に対するイメージが上がらないんだよね。作曲家の心情は代弁出来んけど、フロアにいる者としては「音楽聴かせてよ~」となる。

 

ただ黙って見たい人はそれでいいし、決して強要はしない。まぁ、どのアイドルファンも強要している人見たことないけど。それでもクラップは伝播しやすい(振りコピが恥ずかしくても手を叩くだけならし易い)し、楽曲に合ったクラップならよりノリ易い。

ノリ易いだけに今日みたいな初めての人が多いと普段のライブとは違うタイミングでもクラップが続いたり止んだりもする。構築されたものと違うフロアになる。それでも構築している人たちもそのリズムを大切にして普段叩かない手を止めなかったり打ち続けたり、フレキシブルに対応もしていた感じがして、それは新規の「変なところでクラップしてもうた」と言う羞恥を隠せる。

それぞれがどう表現すればステージの上の菜月・エレナ・華希・ミーアにこの抱いている感情を楽曲に乗せて届けられるか。その思うままの感情を「作り上げたシステマティックな表現方法」に乗せれば現しやすくなるわけやね。

 

「いつもの」応援があるからカイジューバイミーは普段とさほど変わらずステージに立てている、ってのもあるのかなぁ。

いつも通りでいいです。いつも通りいればステージが自然と輝きます。そして、ステージが輝けば初めて見た人にもきっと輝きは伝わる。

怪獣記一曲目に持ってきた『全力シルエット』は「表現方法を構築している、カイジューバイミーを愛する人たち」だけが挙げられた両腕だったのが、セトリラスト前にもう一度来た全力では「輝きに心を奪われた人たち」の両腕も挙がっていた。

クアトロに集まった人全てで作り上げた今日の『怪獣記』なのでした。